今回は9月12日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

敷地がイチゴ形?

建物は2棟

2棟の間に赤い自動車が?

青いビニールハウスが?

段々畑?

家の近くまで道路が

衛星写真で見つけた福岡県の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索開始。

 

 

集落に到着すると、

暑いせいかなかなか人が

見付からなかったが、

お家の中に上って行った

軽トラを追いかけ、

出て来た人に聞いてみる

 

 

すると、衛星写真を見ていないのに

5,6㎞先にポツンと一軒家があるという。

 

衛星写真をとりあえず

見てもらっても

これは間違いないそうだ。

 

 

その家には去年 役所を

定年退職したシゲトウさんという

60歳ぐらいの男性が1人で

暮しているらしい。

 

捜索再開。

 

教えてもらった(オーナー制の)

りんご園の先の橋を渡って

進んでいくも、この先行き止まり

と書いてある看板があった。

 

それでも先を進むと、

家があった。

 

犬が3匹と人もいた。

 

 

   

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その人は、何でお前の家は

ポツンと一軒家に出ないのか?

って言われていたという。

 

 

この方がポツンと一軒家

シゲトウケイジさん63歳。

 

ここは昭和48年くらい前までは

元集落で4軒、りんご園の所に

3軒あったそうだ。

 

でも、町の過疎対策で

辺境地の人は麓に下りんか?

ってことで、町が造成した所に

みんな下りたがシゲトウ家だけは

山奥に残った。

 

それは、この辺りが全部

竹林で筍がお金になり、

それで生計を立てていたため。

 

ケイジさんは14代目か、15代目。

 

約300年前 当時、

今の北九州市周辺を治めていた

小倉藩に木材を調達するため、

この山奥に住み着いたと

伝えられてきた。

 

シゲトウ家は代々、

造林業を中心に

稲作のほか、筍や椎茸の

栽培など家業は多岐にわたった。

 

ケイジさんは、2人兄弟の

長男として生まれる。

 

高校生くらいの時に

猪が出始めて、

田んぼだった平地全部を

やめてしまう。

 

その先にも田んぼがあり、

多い時は1町2反(3,600坪)か

3,900坪位作っていたそうだ。

 

かつては築300年の大きな

茅葺屋根の家が建っていたが、

58年前 降り積もった雪に

屋根が押しつぶされ、

現在の瓦葺きの母屋に建て替えた。

 

 

   

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当時5歳で小学校入学直前の

家が完成した矢先の小学校に

入学して2カ月後、大黒柱の

34歳だった親が亡くなった。

 

残されたのは、年老いた祖父母

そしてケイジさんと3歳下の

 

は家族4人を扶養し、

昼夜問わず、必死に働いた。

 

筍が生える時期になると、

夜中の3時位から懐中電灯を

灯して、掘った筍を

担ぎ出していく。

 

茹でて市場にもって行くのに

バイクに積んで2往復していた。

 

 

ケイジさんはがいつ寝ているか

わからないくらい顔を見ない日が

結構にあったと話す。

 

 

林業や稲作などを全部、

1人でやっていたの性格は、

男みたいだったというケイジさん。

 

母子家庭で母子手当てが貰えたが、

そういうのを貰うとこの子らが

大きくなった時に世間様に対して

後ろめたい気が残るんじゃないかと、

母は一切、もらっていなかった。

 

そんなたくましくて働き者の

のおかげで、ケイジさんは

地元の高校を卒業し、熊本の

測量技術専門学校に進学。

 

一旦、実家を離れたが

その後、福岡市内の

測量会社に就職。

 

32歳の時に実家に戻り、

地元の役場に再就職し、

62歳まで30年間勤務された。

 

を支えるため、

実家で同居していたが、

そのも14年前に

亡くなられた。

 

母屋の脇にはから継承した

原木椎茸があった。

 

 

   

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