今回は5月31日放送の

チコちゃんに叱られる!

Don’t sleep through life!

を振り返ってみたいと

思いますので

宜しくお願い致します。

 

何も考えないで、

のほほんと暮していると

チコちゃんに叱られますよ。

 

 

 

「恥ずかしい」とはなに

 

自分の居場所を守るための

人間ならではの感情

 

 

詳しく教えて下さるのは

恥ずかしいという感情に

ついて研究している

聖心女子大学 現代教養学部

菅原健介教授。

 

菅原先生によると、

恥ずかしいというのは

人間ならではの感情だと

考えられている。

 

なぜなら、人は群れの中で

生きる動物だからなのです。

 

群れをつくる動物はほかにも

いるが、中での人間は社会的な

動物で、他の人がいないと

生きていけない。

 

家族や学校、会社などの

さまざまな社会の中で

人との関わりを持って

生きている。

 

日常生活のさまざまな

場面で必ずといって

いいほど関わっている。

 

社会の中で生きていくためには

その社会の一員でいられるように

することが必要ということ。

 

そのため、役立つのが

恥ずかしいという感情。

 

知り合いと間違えて、

他人に声をかけてしまう

ことは恥ずかしい。

 

 

   

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このとき、「恥ずかしい」

という感情がどういう意味か

っていうと、まず、「この人

変な人」って思われる。

 

「変な人」というのは

社会の中で自分の評価が

下がるということ。

 

もしかしたら、社会から

見放されてしまうという

可能性が出てくる。

 

恥ずかしいということは、

その可能性を教えてくれる

危険信号。

 

社会から見放されないよう、

自分の行動を見直し、

居場所を守る。

 

たとえば、人からとても

褒められたとして、この時

恥ずかしいと感じるのは

相手からの評価に対して

自分の能力が見合っていないと

感じているからだと

菅原先生はいう。

 

相手から要求されたことが

達成できないと自分の評価が

下がり、社会の居場所が

なくなるのでは?という

メカニズム。

 

大昔から人は、集団の中で

それぞれの役割を担って

生き延びてきた。

 

そういう面から、社会から

居場所がなくなる恐れから

アラームとして残った?

 

社会の中で生きるからこそ、

「恥ずかしい」という

気持ちが生まれる。

 

 

 

今回は6月7日放送の

チコちゃんに叱られる!

 

 

なんで韻を踏むと気持ちいい?

 

リズムと驚きを

同時に味わえるから

 

 

詳しく教えて下さるのは

慶應義塾大学で言語学を

研究している

川原繁人教授。

 

川原先生によると、

韻を踏むというのは

かんたんにいうと、

似た驚きの音を

繰り返し使う手法のこと。

 

歌やラップ、詩や

キャッチコピーなど、

様々な所で使われている。

 

YOASOBIアイドルの歌詞を

見てみると、最後を「ない」や

「外」など、母音を「a-i」で

繰り返し韻を踏んでいる。

 

 

   

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韻には大きく分けて

脚韻と頭韻の2種類ある。

 

 

オカムラが

カマクラで

撮ったプリクラ

 

この韻は、おしりの母音を

(aで)そろえる方法。

 

これが脚韻。

 

 

タカシのマナザシ

アタシをダマシ

 

これは「タカシ」や

「マナザシ」のおしりの

母音を「a・a・a」で3つも

そろえている脚韻。

 

 

オカムラの命

オカアサンの

おかげ

 

母音は

言葉の頭で

繰り返す。

 

 

日本最古の和歌集である

「万葉集」で既に韻を

使った歌が詠まれている。

 

天武天皇が読んだ歌では、

吉野の良さを頭韻で表現。

 

江戸時代では米沢藩主の

上杉鷹山は家臣を勇気づける

句を頭韻で表現。

 

 

   

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