今回は5月9日放送の

世界一受けたい授業

五木寛之さんが

今 伝えたいこと

を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

五木寛之さんが22年前に出版

された本が今、売れているという。

 

「大河の一滴」

売り上げは、300万部。

 

 

前回

 

 

アウッシュヴィッツ強制収容所から

4歳の時に救出され、生還した

マイケル・ボーンスタインさん。

 

1944年7月、マイケルさん親子

アウッシュヴィッツに収容された。

 

まだ、4歳だったマイケル少年は、

たった一人で子ども収容棟に行き、

家族はバラバラにされてしまった。

 

子ども収容棟では、飢えた子供たちに

配給を奪われ、日に日に痩せてしまう。

 

そんなを救ったのは、

だったそうな。

 

それは、が命懸けで子ども収容棟に

潜入し、マイケル少年を連れ出して

祖母がいる女子収容等にかくまった。

 

 

辛く過酷な状況でも、ユーモアを

忘れず、幼いマイケル少年は、

かくれんぼでもするかのように

身を隠して生きのびたそうです。

 

その後も、常に明るく前向きに

生きたマイケルさんは、製薬会社の

研究者になられた。

 

多くの子どもにかこまれ、

笑の絶えない家庭を作った。

 

マイケルさんの親は、どんなに

過酷な状況の中でも常に

 

「これもいつかは過ぎていく」

 

と、言っていたそうです。

 

その言葉は、マイケルさん一家に

とって、今も特別な言葉なのだそうです。

 

 

   

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作家 五木寛之さんが今
どうしても伝えたいこと③

 

南極での過酷なテント生活中、

極限状態を乗り切れる人は

どんな言葉を使う?

 

大河の一滴の中に、

C・Wニコルさんの

エピソードにあるという。

 

環境保護活動家として知られる

作家 C・Wニコルさんは、北極や

南極などへの調査探検に参加。

 

南極でのテント生活中、

極限状態を乗り切れる人は

おはようやいただきますが言える人。

 

南極でテント生活をしていると、

どうしても人間は無精になるし、

そういう所で体裁をかまう

必要がないから、身だしなみなど

という事はほとんど考えなくていい。

 

にも関わらず、中にはきちんと

朝起きると顔を洗って、一応

服装を整えて、顔をあわせると

「おはよう。」と挨拶する。

 

物を食べる時には、

「いただきます。」

と、言う人がいる。

 

こういう社会的マナーを

身につけた人が意外と

しぶとく強く、激しい

生活環境の中で最後まで

弱音を吐かなかった。

 

 

   

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作家 五木寛之さんが今
どうしても伝えたいこと③

 

自分はもうダメだと覚悟を

決めた人間にがんばれと言わない

 

「さぁ、がんばってそこまで歩こう」

って励ましが通らない世界がある。

 

そういう時には、激励・前向き・

希望の言葉が非常に空々しく

無力に感じられる。

 

そういう時には逆に相手

追い詰めてしまう。

 

だったら相手に寄り添い、

その人の苦しみを分かって

あげることが大切なのだという。

 

五木寛之さんのこれまでの著書は

累計売上約1億冊も読まれている。

 

大河の一滴の中で五木さんは、

衝撃の過去も告白している。

 

それは中学2年生の時と、

作家として働き始めた後の2度

自殺を考えたことがあるということ。

 

人間は誰でも本当は死と隣り合わせで

生きていて、いつもすれすれの所で

きわどく生きている。

 

「人が生きるという事は

苦しみの連続なのだ」

 

五木さんを自殺から救ったのは、

悲惨な極限状態の中でさえも人の

善意というものがあり、正直さも

親切さも助け合いも、ときには

笑も感動もあったという

たしかな記憶であるという。

 

五木さんがよく口にする言葉、

 

「悲しい時には悲しい歌を」

 

は、実は悲しい歌だという有名な

歌について坂本九さんの

上を向いて歩こうを挙げていた。

 

 

   

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