今回は4月29日放送の
誰だって波瀾爆笑
菅田将暉さんを
振り返ってみます。
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菅田将暉さんの中学時代の
夢は、数学の教師だった。
数学が得意で、中学から
ヤンチャから真面目に変貌!
証明など、ノートを
埋めるのが好きだったが、
社会や国語は苦手。
歴史はダメだけど、
地理は好き。
それは、昔の事は
興味なかったから!
答えが明確で好きだった
数学はトップクラス。
現代文では、この時の
人物の心情を答える問題で、
自分でこう思う!と書いても、
バツを付けられ嫌になっていた。
高校生になると、サッカーから
アメフトへチェンジ!
高校でもサッカーを続けた
かったが部がチャラかったw
アメフトの勧誘が熱かった事や、
アイシールド21が好きで
憧れがあった事から路線変更。
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ボール100回トレーニングで
握力が20Kg→40kgへ倍増した。
だが、練習が厳しく右腕の
感覚がなくなってしまった
菅田さん何かに取り憑かれた
と思うようになると、母親から
霊じゃないから病院行こうと
誘われ診察を受けることに。
ところが、内科 外科
レントゲンの異常なし。
やっぱり、何かに取り憑かれた
と思う菅田さんだったが、
原因は疲労で整体に行ったら
治ったようです。
中学の時に梅田のHEP前で
スカウトを受けた事が
あるという。
そんな菅田さんが芸能界に
興味を持ち、憧れるように
なったきっかけは、
ごくせんという学園ドラマ。
毎週、学校でそのドラマの
話が話題となっていたようだ。
そこから、2008年に行われた
第21回 ジュノン・スーパーボーイ
コンテストに応募を決めた。
応募者が15,338名から、
ファイナリストの12名に
選ばれた。
そこで披露した特技は、
小さい頃から習っていた
ストリートダンスで
自己アピールし、
木下優樹菜さんへ告白する
審査があり、チョリーッス
を獲得した。
5社からオファーを貰った
菅田さんは、今の事務所の
面接であまり喋る事が出来ず
社長に怒られたという。
仮面ライダーの仕事をする
事になったが、情報解禁の
きまりで親以外に公表する事が
出来ずに16歳で東京へ向かった。
部活を1年やって公式戦という時に
芸能界デビューが決まり、先輩に
報告した時は、涙が止まらず
一番泣いた瞬間だったという。
16歳になって一人暮らし、
東京に来てみると、
地元では集団登校するのが
当たり前だったのに、
まだ小さい子がPASMOを
使っていたこと、
周りは高い山ばかりだった為、
ビルが存在しておらず、
ビル風の強さにも驚きを
隠せなかったそうです。
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デビュー当初の菅田さんは、
アイドル路線で売り出していたため
ファースト写真集で泡風呂に入る事や
舞台挨拶では金のスーツを着せられ
ようとしていたそうです。
菅田将暉さんに聞いてみたい事の
コーナーでは、寝ている時の
姿はジャージやTシャツに短パンで
パジャマは着ない。
男としてカッコイイ思う俳優は、
吉田鋼太郎さんや小栗旬さんを挙げた。
好きなおにぎりの具は、
昆布 おかか 鮭
他にも色々あるもよう。