今回は7月10日放送の
家、ついて行ってイイですか?
町田天満宮で買い物代金を
お支払いする代わりに家を
見せてもらう企画を振り返ります。
他に買うものがないとの事で
既に購入していた1000円の本
代金を支払い、はまださんと交渉成立。
はまださんは愛媛県に16歳まで
住んでいたそうだが、色々あって
居れなくなって、大阪でパン屋を
2~3年やっていたという。
東京五輪の年に東京で
一儲けしようと軽い気持ちで
明け方プラプラしていたら
水を撒いていたパン屋の主人に
朝から何処行くんだ?
と話しかけられたので、
はまださんは仕事を探していると
伝えると、そこで働く事になった。
そこの主人が病気で亡くなるまでの
3年働き、仕事を探さなきゃと
思っていた時、知り合いの不良が
キャバレーに勤めていて、喧嘩も強いし
用心棒代わりになるからと誘われ就職。
2~3年 働いて、そこのボーイさんが
ブロックの職人になるって事で
はまださんは一緒に鳶の職人として
やっていた。
完全に仕事をマスターしたら
自分で独立し、平成3年位まで
鳶の仕事をした後、陶芸家を
続けている。
はまだ家STYLE1
自慢のエンジン音
愛車は、ビートル車。
はまだ家STYLE2
後部にエンジン
自宅に到着。
持ち家 築32年
家の中には隣の釜に熱が
伝わっていく事で陶磁器を
同時に沢山焼く事の出来る
登り窯がある。
温度は大体、1,280℃くらいで
何ヵ月も掛かって苦労しながら
自作していたそうです。
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はまだ家STYLE3
自分で窯を建設
1つ280円の耐火煉瓦を
4,000本くらい積んで作った。
はまだ家STYLE4
自力で ろくろを回す
それは北大路魯山人の所から
全部来たもの。
はまだ家STYLE5
魯山人の孫弟子
はまださんの先生が
魯山人のお弟子さんで
自身は孫弟子になる。
先生が陶器を作るのを
辞める時に俺んちに道具を
全部貰った。
魯山人は、陶芸家・美食家
織部焼の人間国宝を辞退、
「美味しんぼ」海原雄山のモデル。
はまだ家STYLE6
四国のソウルフード うどん
冷蔵庫にうどんが!
簡単に作れるし、好き。
はまだ家STYLE7
寝室 兼 お茶会部屋
布団を退けると、
お茶会部屋に早変わり。
29~30歳くらいから現在まで
陶芸品を作り、平成3年で個展を
1年に1度、毎年行った。
だいたい1回で350万位売ったが、
薪だけで25万掛かり。窯だので
お金は何十万の掛かるので、
整形は全く成り立たない。
元々、美術が好きで
小学校2~3年位から
骨董屋に通っていた
はまださん。
陶芸が好きで、父は
西洋料理の先生だから
小さい頃から良い食器を
見て育ってきている。
黒電話は現役で使われている。
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30歳の時に土地を買って、
重機を借りて開拓、
40歳で今の家を仕上げた。
はまだ家STYLE8
魯山人が作ったトイレ
はまださんは、不良で敵も沢山いたから
当時、何かを作ってみたかったので
パン屋の仕事を大阪で始めて
あれからずっと好きな事が
繋がってきている。
ろくろをひいているCMでは、
3年間 十朱幸代さんと一緒に
出ていた。
奥さんは、焼き肉ホルモン店を
やっているから、はまださんは、
明け方 家に帰って寝て起きてから、
掃除したり、肉を切ったり
支度をして生計を立てている。
はまださん自身は、俺が収入ないけど
家族には理解があるという。
人生でこれまで2~3万くらい
陶器を作った。
ずっと作品を作って来たのは、
自分が納得するものを作って
いきたいから、金儲けしよう
なんて思わない。
売れなきゃ売れないで構わない。
死んでも物が遺ってれば
それで良い。
大事にしてくれる作品が
何点かでも自分の歴史を
作る為にやっている。
物作りっていうのは、人の為でも
誰の為でもない。
必要とされるものを波に乗って
作るって事が売れるもの。
だけど、それだとオレの
気持ちの中ではつまらない。
自分が納得するように
作っていかないと、
毎回できるものが
違うから面白いという。
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