今回は10月24日放送の

世界一受けたい授業

内田篤人流メンタル術

を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

2年連続でベストイレブン

選出され、日本代表として

活躍した内田先生はプロになって

毎日、嘔吐していたという。

 

酷い時には10mを走っただけで、

吐き気が襲ってきたことも。

 

胃カメラの検査でも異常ナシで、

シャルケ移籍まで続く。

 

チームドクターの話をきっかけに、

ストレスが原因だと思った。

 

試合に負けたミスをした

失点に絡んだという悪いことが、

ストレスになっていると思ったが、

勝って喜んで気持ちが上下するのも

ストレスなんですと言われた時に、

ストレスを受けるのは悪い事じゃない

と思ってから内田先生の気持ちが

楽になった。

 

周りにバレないようにしていたが、

岡田武史監督に、そういう体調もあり、

「お前はボールを怖がっている」と、

言われて、見る人が見れば

隠せないと感じたそうだ。

 

「1人、目標の選手を見付けなさい。」

「そのプレーをマネするだけで

改善される。」と、アドバイスを

もらった内田先生だったが作らず、

自分でどうにかしてやろう。

 

このまま活躍してやろうという

生意気な考えがあった。

 

プロ5年目でドイツの名門チームに

移籍した際、契約書に明記した

条件は、鹿島アントラーズ

1億円以上の移籍金を支払うこと。

 

 

   

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少なくとも億単位のお金を

支払えるチームを選んだ内田先生。

 

当時の記事によると、シャルケから

鹿島アントラーズに支払われた

移籍金は、1億5000万円。

 

移籍した翌年、鹿島選手

補強し、カップ戦で優勝した。

 

高卒1年目から起用してくれた

鹿島への恩返しが必要と

考えていた。

 

また、内田先生は移籍金だけでなく、

ドイツから帰国した時には、

空港で待っていた記者に必ず、

鹿島のクラブハウスで練習する日程を

伝えていたという。

 

そうすることで、記事になれば

サポーターが鹿島に足を運び、

グッズの購入や食堂の利用など、

鹿島の利益につながる思いがあった。

 

 

世界で活躍するのは、

チームに好影響を与える選手!

 

内田先生のプレーで例えると、

2004年のブラジル杯でのこと。

 

終了間際のピンチで、誰もが

全力疾走で戻り、スライディングで

相手を止めたチームに求められたプレー。

 

周りが大変な時に、どう動けば

チームが良い方向に進めるか

考えるのは、学校や会社などの

集団活動で求められるメンタル。

 

プレーだけでなく、心構えも

評価された内田先生は引退後、

10代の日本代表コーチに

抜擢された世界で活躍する

メンタル術。

 

 

   

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人生で大きな決断を下す時、

内田先生は逃げ道・

違う考え方を持つ。

 

1つの目標に向かって

努力することも大事だが、

夢が叶わなかった時、

大きな絶望感を味わう。

 

もう1つの夢や目標を

持っていた方がいい結果が

うまれる。

 

決断に誇りを持ち、

後悔しない。

 

後悔は自分が考えた決断を

否定しているような感じになる。

 

シャルケに移籍後、

内田先生の考えを

大きく変えた出来事があった。

 

移籍の翌年、2011年3月11日に

東日本大震災があり、ドイツでも

大きく報道された。

 

それを知った内田先生は、

これまで目立つことを避けてきたが、

初めて注目されるには何をするべきか

考えた結果…

 

 

 

 

 

 

 

   

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