今回は5月17日放送の番組

家、ついて行ってイイですか?

挫折上等SP!で放送された、

終電後の錦糸町駅

会社の飲み会だった

ふゆのさんと交渉成立。

 

曳舟で、両親と暮らすふゆのさん

の中は、とってもフレンドリー。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

推定距離3.1km 1,610円

 

 

ふゆの家STYLE1

父は車椅子に乗るスポーツ選手

 

父親さんがパワーリフティングをしていて

トロフィーが飾ってある。

 

父親さんが車椅子で2階まで上がるのに

使用している階段に昇降機を設置。

 

 

ふゆの家STYLE2

愛犬 ゴウくん

 

 

ふゆの家STYLE3

離れて暮らす次女の子ども専用ベッド

 

 

父親さんは脊髄損傷で

背骨の神経が切れて、

足が動かなくなってしまった。

 

怪我をする前は、

ローディーと呼ばれる

歌手のライブで、楽器や機材の

手配を行うライブスタッフさんだった。

 

ふきのとうというフォークグループの

事務所で、20歳くらいからローディー

はじめ、長渕さんのライブスタッフに

なる事を目標にしていたそうです。

 

中学の頃からギターを弾いて

長渕さんの歌をコピーしてた。

 

 

ふゆの家STYLE4

2011年まで長渕剛ライブスタッフ

 

努力の成果もあり、音楽業界に入り、

1990年に長渕さんのツアーに

初めて行けた。

 

あるツアーの搬出中に、

トラックの中で高重量のものを倒してしまい、

支えきれずに、背骨が折れてしまった。

 

救急車で運ばれると、すぐに医者から

もう歩けないからねと言われてしまい、

歩けないんだったら

違う出来る事考えなくちゃなって感じで

ずっと前に進んでいたといいます。

 

その仕事を選んでしまった事に

後悔は全然なく、ふゆのさんも

小さかった頃だったので、

悲しいとかは全くなくて

逆に頑張んなきゃなと思ったそうです。

 

いろいろな手続きがあったので

奥さんが一番苦労したと語る

父親さん。

 

長渕さんとは、未だに

お付き合いがあり、

怪我して松山の病院にいた時に、

東京に転院する手続きを

すべて長渕さんが行ってくれて

お前 いつまでもそんなところに

いるんじゃねぇよ、戻ってこい!

と言ってくれたそうです。

 

東京の病院に転院すると、

9月7日にライブ決まったから頼むな

と言われ、入院しながら

リハーサルスタジオに1ヶ月間

迎えに来てもらって、9月7日の

横浜でのライブが終了した。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

ライブ終了後、3~4日後くらいに、

事故後初めて自宅に帰ってくると、

仕事に行ける自信もつき、

あまり不安もなかった。

 

 

ふゆの家STYLE5

長渕詩画

 

父親さんのお父様が

亡くなられた時も長渕さんは

お線香をあげに来てくれて、

家の壁に詩画やお父様が

釣りが好きで魚の絵も

描いてくれた。

 

怪我をしてしまったのが2002年、

2004年のアテネパラリンピック

の時に、パワーリフティング

競技を知って、はじめてみる事に。

 

 

ふゆの家STYLE6

リオパラリンピック5位

 

音楽の仕事をしていると、

ライブのスケジュールが決まると

スポーツ優先が出来ないので、

パラリンピック行きたいという形で

2011年くらいにスポーツ専念させてもらい、

2012年のロンドンパラリンピック

リオパラリンピック日本代表になって、

ロンドン9位  リオ5位に!

 

 

ふゆの家STYLE7

仕事部屋が現在は

トレーニングルーム

 

事務所だったのを

トレーニングルームにした。

 

 

パワーリフティングで最初は、

40キロまでしかあげる事が

出来なかったが、

記録が伸びていくと楽しい。

 

 

ふゆの家STYLE8

懸垂は車椅子ごと

 

10キロの車椅子、

その方が安定する。

 

 

ふゆの家STYLE9

トイレ内もトレーニングルーム

 

トイレは全てジムで、

手すりを利用して引くトレーニング

を行える。

 

 

ふゆの家STYLE10

障害者として唯一出場し世界1位に

 

2015には、IPF世界マスターズ

ベンチプレス選手権大会で140~145キロ

くらいあげて、優勝

 

障害者になれたから、

パラリンピック選手にもなれてる。

 

健常者だったら、

そこにはいってないだろうし、

そういう部分は、

第2の人生じゃないですけど、

楽しませてもらってます。

 

一番、選手になったと感じる瞬間は、

成田空港を飛び立つ時で、

練習中とは移動中は長渕さんの

歌を聞いて過ごしているという。

 

STAY DREAMという曲は、

長渕さんが絶望の淵から、

這い上がる為にできたと言われ、

自分も足が動かなくなって、

聞いた時、前に歩き出せたそうです。

 

パワーリフティングは、

パラリンピックにも出れたし、

いろんな仲間も増え、

自分も健常者の大会に出れるので、

障害とかの垣根のなくできる競技

なので始めてよかった。

 

2006年の韓国であった

世界大会には、

長渕さんが応援しに来てくれた。

 

父親さんにとって長渕さんは、

全ての人生のきっかけが

長渕さんで決まってきている。

 

存在的にいうと、

ここまでしてくれた人。

 

次の目標は東京オリンピック!

生涯現役でスポーツ選手でいる事。

 

彼女()さんにとって、父親は

唯一尊敬する人。

 

この歳になってわかった事だけど、

学費とか半端ない額を払いながら

家庭を守ってたってすごいなって

って日々思う事で、

一家の大黒柱とかじゃなくて

自分でもそれをやりたい。

 

自分が家庭を持つんじゃなくて、

自分が家族に対して返す。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

東京オリンピックの

楽しみが増えましたね、

頑張って頂きたい。

 

長渕さんも、父親さんも

流石ですね。

 

STAY DREAM

聴いてみよっと!