今回は9月15日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

森を切り拓いた広い敷地

敷地の端に建物が1棟

低木の畑?

四角く区画された場所

衛星写真で見つけた沖縄県の

ポツンと一軒家を目指す。

 

 

沖縄県のポツンと一軒家

目指し、最寄りの集落から

捜索開始。

 

2階で洗濯物を干している

住人女性を発見し、夫婦

衛星写真を見てもらうがわからず、

区長さんを紹介して貰う。

 

隣の区長さんなどにも

協力してもらいながら、

目指すポツンと一軒家

寝泊まりもできるみかん畑の

作業小屋で持ち主は麓に住む

85歳くらいのしまさん

という人らしい。

 

麓の公民館から案内してくれた

ふるげんさんに先導して貰い、

目指すポツンと一軒家

辿り着いた。

 

 

 

 

突然のお願いを快く

引き受けてくれた

ポツンと一軒家あるじ

しまちかよさん84歳。

 

そこはみかんを

収穫する場合の管理小屋。

 

麓の集落に自宅がある

しまさんは普段、ここに

毎日通っている。

 

昔は電柱が木柱で、

コンクリート柱に

変えたもんだから、

電柱を払い受けた電柱で

建築した管理小屋。

 

台風の風で倒れないように

両サイドワイヤーで補強し、

25年間被害なし。

 

 

   

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水は4、500mくらい先の

沢水を、電気は発電機を

使用している。

 

農作業後に汗を流して

帰宅するための

トイレ兼シャワー室がある。

 

 

65年前に1万2千坪の村有地を

1坪4セントで購入し、

5年かけて切り拓き、

みかん畑をはじめた。

 

しまちかよさんは麓の集落で、

親が大工を生業にしていた

しま家に昭和15年に6人兄弟の

長男として生まれたちかよさん。

 

だが、4歳の時に沖縄は

太平洋戦争の戦場に。

 

防空壕の歌や戦争が始まる前から

そういった教育を受けさせられた。

 

空襲警報が鳴ると、

は畑に行って、食糧調達に。

 

1945年8、ちかよさんが

5歳の時に日本が敗戦。

 

沖縄はアメリカの

統治下におかれた。

 

戦後、住民の食料は

米軍によって配給された。

 

1951年サンフランシスコ

平和条約を締結。

 

連合国による

日本占領が終了。

 

だが、沖縄は戦後27年間

アメリカの統治下に

おかれたままだった。

 

その間、沖縄と本土を

行き来するのにも

パスポートが必要で、

島内で使う通貨もドル。

 

ほかにも車は右など、

そういう生活を20年間

させられた。

 

沖縄は1972年に日本に

返還されたが、

交通規制を変えるには様々な

準備が必要だった為、

規則が変わったのは

1978年7月30日で通称「730」。

 

 

   

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シークヮーサーは

シー(酸っぱい)

クヮース(食べさせる)

サー(物)

 

昔無かった洗剤の代わりに

シークヮーサーを

育てていた。

 

タンカンとシークヮーサーを

280本くらい植えている。

 

ちかよさんももう、歳だから

娘婿(次女の夫)に継がせようかと

思っているという。

 

娘婿が手伝ってくれて大助かり

と言いながら、体力が続く限りは

まだまだ畑仕事を続けるという。

 

今年始めた新たな試みは

温州みかんの栽培。

 

今年植えたみかんが

収穫できるのを夢見て、

子どものために

丹精込めて育てる。

 

84歳になっても毎日、

山の上で農作業に勤しむ

ちかよさん、戦火を乗り越え

亡き父と開墾したみかん畑を

これからは義理の息子とともに

守っていく。

 

 

   

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